[官能小説] 熟女の園 孤独な貴婦人 ~序章~
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孤独な貴婦人 ~序章~

 両親の顔も知らず施設で育った俺は18歳の時、施設を出ると同時にとある名家の屋敷で働くことになった。野沢家というかつて代議士を務めていた男の家の屋敷で今はその妻、節子夫人が一人で暮らしている。70代の気難しい婆さんのもとで働くことは楽しいものではないが特に不満も抱いてはいなかった。



 10年前に夫の宏一氏が病気で亡くなり、以来妻の節子が一人で暮らしているのだという。子供たちは家をとっくに出てめったに帰ってくることはない。節子は75歳という年齢だが俺以外にも複数の使用人がいるため生活は不自由していないのだ。節子は気難しく使用人たちはよく泣かされていた。俺も最初は理不尽な理由で怒られたり辛いことばかりだった。けれど他に逃げる当てのない俺は必死になって働き、なんとか節子に振り回される日々にも慣れていったのだ。
 俺が20歳になった頃、庭の手入れをしていると木の陰に小さな紙切れのようなものを見つけた。

「これは?」

 手にとったその紙片のようなものに見覚えがあった。それは節子が愛用している栞だ。縁側で庭を見ながら読書をするのが節子の日課だ。その時にこの栞を使っているのをこれまで何度か見ている。だが最近は見ることがなかったなとふと思い出したのだ。無くしてしまっていたとは知らなかった。
 庭の手入れの手を休め、栞を持って縁側にいる節子の元へと向かった。いつも節子は着物姿で自分の屋敷でも整った身なりをしている。老眼鏡をかけて読書中の節子に俺は恐る恐る声をかけた。

「奥様、これが落ちていました」

 読んでいた文庫から目を上げ、節子が俺のもっている栞を見ると目を丸くしていた。

「あなた、これをどこで?」

「庭の隅にある松の下に落ちていました」

 節子は栞を受け取ると俺の顔と栞の間で何度も目を往復させた。こんなにも驚く姿を見るのははじめてだ。いつも節子は落ち着いていて冷静だ。栞を大事そうに両手で包むように持つと俺をじっと見つめてきた。

「よくこれが私のものだと分かりましたね」

「奥様が以前から使っておられるのを見ておりましたから」

 訝しむように節子が俺を見つめてきて緊張してしまう。こうして物を届けただけでも怒られる可能性だってあるのだ。
 額から冷や汗を垂らしていると節子は予想だにしない言葉を口にした。

「ありがとう。最近見つからず困っていたんです。これは長年愛用している大事なものですからね」

 2年働いていてはじめて言われた感謝の言葉だった。節子は強張っていた顔が綻び、わずかに口元に笑みを浮かべている。

「私のことをよく見ているんですね。感心しました」

「いえ、とんでもありません」

 節子は文庫に受け取った栞を挟み、立ち上がった。

「外はずいぶん寒くなりましたね。部屋まで連れて行ってちょうだい」

「私がですか?」

 思わず聞き返してしまった。節子の身体はしっかりしており付き添いが必要なわけではない。なのにどうして一緒に来て欲しいというのか理解できなかったのだ。

「他に誰がいるというの」

 俺が聞き返したことに節子はやや荒めにそう言ってきた。俺は草履を脱いで縁側に上がり、節子が持っていた文庫や座布団などを預かって共に部屋へと向かっていった。節子が前を歩き、俺はそのあとをついて行く。はきはきとした足取りで縁側を進み、家の奥へと進んでいくと節子の私室の前へとたどり着いた。俺はその部屋の前に荷物を置いて下がることにしたのだ。

「では私はこれで」

 そう言って下がろうとすると節子が引き留めてきた。

「待ちなさい。栞のお礼にお茶を入れてあげますから」

 使用人に対してそんなことをするわけがないと驚いてしまう。俺は必死になって拒もうとしたが節子は折れなかった。

「そんな、奥様にそのようなことをされるわけには」

「いいから入りなさい」

 これ以上頑なに拒むと機嫌を損ねてしまうと思い、諦めて部屋へと入ることにした。
 使用人に対して厳しい節子は私室に掃除以外で使用人を入れたりはしない。掃除は女性の担当で俺は入るのははじめてだった。緊張しながら和室の室内へと入っていくと中は綺麗に整理が行き届いた部屋で年代物の座卓や箪笥が置かれていて質素な室内だった。
 部屋の中央の座卓の前に座布団を敷かれ、俺はそこに座ってじっと待っているとすぐに節子が電気ポッドで緑茶を入れてくれた。

「いただきます」

 節子が入れたお茶の入った湯飲みを手にしてお茶を頂くと外仕事で冷えた身体を温めてくれた。お茶の味はよくわからないがきっといいお茶なのだろう。とてもいい香りが漂ってくる。

「あなたって優しいのね」

 節子もお茶を飲みながら俺にそう語りかけてきた。縁側で話した時よりも一段と温和な口調で表情もいつになく穏やかだ。こんな節子を見るのははじめてだ。俺は戸惑いながらもなんとか口を開いた。

「いえ、決してそのような事は」

「ああやって直に私に落ちていたものを渡してくれる使用人はいないわ。私があなた達に対して厳しいからかしらねえ」

 節子は使用人に対して厳しいのは事実だった。まるでロボットや機械のように命じられ扱われることに不満を持つ者も多く、よく陰では年配の使用人に俺も愚痴を聞かされたものだ。

「私も本当はあなた達にもっと家族のように接するべきかとも考えたりはするのよ。でも意固地な性格をどうしても変えられなくて。特に年を取ってくるとね」

 ため息交じりにそう語る節子は普段とは違いとても弱弱しかった。今年で75歳、夫もなくこの家でずっと家族一人の節子は本当は寂しかったのかもしれない。本当はもっと使用人とも仲良くしたかったのかもしれない。だが自分を変える勇気を失っていたのだ。本当は寂しい孤独な老人なのだと思うと俺は同情してしまった。俺も今まで家族など知らず生きてきてずっと寂しい気持ちを隠して生きてきたのだ。
 目の前の節子に自分を重ねて、つい口が開いてしまった。

「奥様、なにか個人的にお困りのことはありませんか?愚痴であったりちょっとした私的な手伝いなど私でよければ伺います」

「ええ、あなたが?」

 節子は驚いて俺の方に顔を向けた。踏み込みすぎてしまったかもしれないと俺は冷や冷やしたが節子はふっと笑ったのだ。少し迷ったように考えてから節子は俺に頼みごとをしてきた。

「なら明日から昼に少しだけお茶に付き合ってちょうだい。けどこは他の者には秘密よ」

 そうして翌日から直樹は節子の部屋でともにお茶をするようになった。主に節子が一方的に話し、それを聞くだけだ。節子は最近思っていることや昔話などあらゆる話をした。いつも硬い表情で命令を下すだけの主人が話しながら時折表情を崩して俺だけに話をしてくれることが嬉しかった。この時間が俺は楽しみになっていった。次第に俺に心を開き話してくれる節子に俺も心を許し、この二人でいる時間は幸せな時間となった。

「こうしてだれかと話をするのが楽しいと思えるなんて久しぶり」

 お茶を楽しむようになり一か月が過ぎたころ、節子はそう口にした。節子の目は潤んでおり、涙が零れていた。

「奥様!?」

 俺は驚き、卓座を回り込んで節子の方へと寄っていった。どうしたのだろうかと俺は慌ててしまった。俺が近づくと節子は着物の袖で目元を拭っていた。

「平気よ。つい感傷的になってしまって・・・私はずっと自分で檻をつくって自分から孤独になっていたのね」

 屋敷からほとんど出かけることはなく訪ねてくる人もあまりいない。子供たちもここへ来たのを俺は見たことがなかった。家にいる使用人には心を開かず、家の外の人間とも交流を持つことに消極的になっていた節子は本人の言う通り自分で孤独になっていたのだ。

「私って寂しい人間ね」

 自虐的にそう言いながら泣いている節子を見ると俺は胸が苦しくなった。この一か月共に過ごしてきて俺は節子がどんな人なのかを知ることができた。節子に対してこれまでとは違う感情を抱くようになっていて、とても今の節子を見ていることが辛くて堪らなかった。
 節子の身体に腕をまわして強く抱きしめた。

「奥様は孤独なんかじゃありません。孤独になんてさせません。私が付いています。私は奥様のためならなんだっていたします。だから寂しいとか言わないでください」

 使用人としての領分を超えたことだとはわかっている。だが節子に対する気持ちは俺の中で主従関係以上のものになっていた。突然抱きしめられた節子は涙で濡れた顔を上げ、俺を見つめてきた。

「ありがとう。あなたって・・・あなたって本当に・・・」

 見上げる節子の顔を見ているとより一層俺の気持ちは昂っていく。彼女を抱く腕に力が入っていき心臓の鼓動が高鳴る。俺を見つめる節子は狂おしいほど美しかった。
 どちらからというわけでもなく俺と節子は顔を近づけ合い唇を重ねたのだった。



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